節分でけんちん汁を食べる意味は?どこの地域が発祥なのか調査してみた

節分

節分の日にけんちん汁を食べる意味をご存知でしょうか?

実は節分の日にけんちん汁を食べられるようになったのには理由がありましたので今回はけんちん汁を食べる意味、けんちん汁を食べる地域や発祥の地、由来について紹介します。

 

節分でけんちん汁を食べる意味は?

実は「節分にけんちん汁を食べるようになった」のではなく、「けんちん汁を食べている多くの行事の中で節分だけが残った」ということ。

関東では、初午やえびす講などの冬の行事が充実しており、どちらも稲荷神社で行われる行事になります。

えびす講は七福神の恵比寿様をお祀りする行事、初午は2月最初の午の日にあるお祭りです。

冬の行事は寒くて体が冷えますので少しでも体を温めてほしいと「けんちん汁」が振舞われることが多かったそうです。

次第に行事が少なくなり「節分」に「けんちん汁」を食べる風習が今でも残っているそうで、けんちん汁には恵方巻きのような縁起物としての意味はありません。

けんちん汁が食べられるようになった理由は寒い冬の行事で「冷えた体を温める」という意味で食べられてました。

 

節分でけんちん汁を食べる地域は?

節分にけんちん汁を食べるのは関東の一部の地域になります。

けんちん汁は大根、にんじん、ごぼう、里芋、こんにゃく、豆腐などを油で炒め出汁を加えて煮込み醤油や塩などで味を調えた汁物になります。

発祥地は神奈川県ですが、岩手県、大分県、茨城県などで郷土料理として食べられていますが地域によって具材は異なります。

岩手県では、肉は入れずに豆腐を油でよく炒めてそぼろ状にするのが特徴で、茨城県では、けんちん汁を蕎麦のつけつゆにした料理が食べられています。

ぜひいろんなけんちん汁を食べてみたいですね。

よく、けんちん汁と豚汁を混同しがちですが、材料を油で炒めるか炒めないかが違います。

けんちん汁は煮る前に材料を油で炒めます。

もともとけんちん汁は精進料理だったため、コクを出すために油で炒めたと言われています。

 

けんちん汁はどこ発祥なのか?

けんちん汁の発祥は2つの説があります。

鎌倉の建長寺説

建長寺の修行僧が誤って豆腐を落としてしまい崩れてしまいました。

その豆腐やあまりの野菜を使って汁物「建長汁」を作ったそうで「けんちょうじる」が訛って「けんちん汁」になった説です。

中国の料理説

中国には肉も魚も使わない汁「ケンチュン」がありました。

それが伝わった時に「けんちん汁」になった説です。

普茶とは、広く大衆に茶を供するという意味。普茶料理は江戸時代初期、京都の宇治に黄檗山萬福寺を開いた隠元(いんげん)禅師が中国より伝えたとされる精進料理です。

布教の際に、普茶料理も広めたといわれます。

 

いつから節分でけんちん汁を食べるようになったのか?

建長寺のけんちん汁は700年以上前からあったそうで「建長寺といえばけんちん汁」というくらい有名で今でも節分会で食べられています。

建長寺の修行僧が日本各地に散らばった時に、けんちん汁も全国に広まったといわれています。

 

節分でけんちん汁を食べる意味は?どこの地域が発祥なのか調査してみたのまとめ

「けんちん汁を食べるようになった」のではなく、「けんちん汁を食べている多くの行事の中で節分だけが残った」のは驚きました。

建長寺の説、中国の説とありますが昔からけんちん汁が食べられており、今でも愛されている郷土料理になっていることが分かります。

恵方巻き、けんちん汁の他にも節分の日に食べられているものが多くあり当日に何を食べるか迷ってしまいますね。

恵方巻きや豆だけではなく他にも食べてみましょう。

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